ただ振り返っただけ
コロナに振り回され憂鬱な毎日……。職場の方とお題交換して気分転換にでもブログを書くことになりました。
今回は『オタクしてて辛かったこと』を振り返ってみます。
私にとって辛かったことって1つ、というより"2019年"
遡ること10年前、当時まだ10歳だった私はFTISLANDという韓国のバンドに出会い、そのFTISLANDは今年日本メジャーデビュー10周年になります。
右から順に、メインギター&キーボードのジョンフン
ボーカルでフロントマンのホンギ
ドラムのミナン、ベース&サブボーカルのジェジン
サブギター&サブボーカルのスンヒョンです。
FTISLANDって結構FREEDOMなバンドなんですよ。時にはSNSでファンと喧嘩したり、社長の車を勝手に乗って逃走したり(社長とは仲良し)、ライブ中に急にお酒飲み出したり(笑)
でもファンに感謝を伝える時は涙を浮かべるし、ファンに対して「俺ら友達」とフレンドリーに接してくれる素敵なグループ。
そんなFTISLANDは最年長メンバーであるジョンフンとホンギが2019年内に入隊することが確実だったので10周年である今年はライブ等の活動が出来ず、昨年の2019年春に「1年早い10周年ツアー」が行われました。「入隊前最後のライブ」とも言われていて、初期の曲も披露するだろうから楽しみで仕方なかった。
でもその記念ライブにジョンフンが不在でした。
不参加の理由は「事件を犯していたことが発覚してグループを脱退、同時に芸能界を引退」
脱退発表はツアー初日のたった3週間前でした。
ある日突然強制的にピリオドを打たれ、罪を犯したジョンフンへの絶望感や今後のFTISLANDの活動に対する不安感、何より5人でのFTISLANDが永遠じゃなかった現実が苦しすぎた。
脱退前に「EVERLASTING」という"不朽" "永遠"という意味が込められたアルバムが発売されることも決まっていたのに。
2013年にリリースされたある曲を思い出す。
永遠はないの、って君は微笑んでいた
なんで?ってどうして?ってと僕は手を伸ばした
ここからはその後のツアーのお話。
絶対に無理だろうと思われたツアーはメンバーの意思で開催することが決まり、私は初日公演に参戦する予定なかったんですけどメンバーが1人いなくなってしまった現実を早くこの目で確かめねば!と2次応募でチケット購入して行きました。
まあ案の定初日公演は号泣でした(笑)
OPは「F! T! ISLAND!!」とグループ名を連呼する曲が流れメンバーが登場。FTISLANDって『Five Treasure ISLAND』の略で、『5つの宝島』って意味なんです。
でもステージに立ったのは4人だった。
MCでも涙浮かべて言葉詰まらせたり、"ジョンフン"という名前も出ず「あいつ」と呼び、「あいつとの思い出もここまで」と、言う本人達が1番辛いであろう言葉がありました。
その言葉を聞くのが凄く辛かったけど、同時に必死で前を向こうとする彼らを、こんな状況でもステージに立つことを選んでくれた彼らを誇りにも思った。
そしてその後ツアーは順調に進んでたけど、丁度折り返し地点に差し掛かった時に問題が発生。
ボーカルのホンギが公演中に喉の不調を訴え急遽公演中止。
私はその公演に不参加でしたが、そのレポを見たとき「原因は絶対ストレスじゃないのか」と思って。フロントマンだから言いたくないこと、言い難いことだって言わないとダメな人。最年長でやんちゃだけどグループを引っ張る人。いろいろ溜め込んでるんじゃないかって不安で、もうツアー中止でいいよとも思った。
それでも彼らはやると。
私はちょうど急遽中止になった公演の次の公演に参戦する予定だったんですけど、何食わぬ顔して彼らはやってのけたのです。
そこからは特に問題もなくあまりジョンフンにも触れずオーラスまで行ったけど、オーラスではホンギからこんな発言。
みんなに言いたかったのは「守りたかったです」
でもそれが上手く出来なくてごめんなさい。
この言葉を生で聞いたときドラマみたいに涙こぼれた(笑)
実はジョンフンの脱退が決まった時、ファンがSNSを通じてホンギに「ジョンフンを見捨てないで」とお願いしたんです。
でもそれに対するホンギの返事は「諦める」でした。
ツアーのオーラス公演で言った「守りたかった」が本心ならば、どんな思いで「諦める」と返事していたのか。
きっと、すごく胸が苦しかったと思う。
そしてその後、ホンギのソロイベントが開催され、喉の不調で中止になってしまった公演の振替公演に4公演を加えたアンコールライブも開催されました。
アンコールライブのオーラスでは「10年間ありがとう!行ってきます!!」と。当初"10周年記念" "入隊前ラスト"だったライブが違う意味のライブになってしまったのを覆すかのように"10周年記念" "入隊前ラスト"のライブをしてくれた。
そしてアンコールライブの直後にホンギが入隊して残った3人は年末に行われた事務所のファミリーコンサート、ジャニーズでいうカウコンのようなコンサートに出演。
ここからその3人も徐々に入隊をして、きっとまた4人が集まったころには新たなFTISLANDがスタートする。そう思ってました。
でも違った。
ファミリーコンサートを終えたたった2日後、サブギターのスンヒョンが事務所と契約更新せず年内で退所、FTISLANDを脱退することが発表されました。
ジョンフンがいなくなって4人で頑張って行くと誓ってくれたと思ってたから本当に辛くて辛くて。
でも責める気にもなれなくて。
実はスンヒョンってFTISLANDが韓国でデビューした約2年後にあたる2009年に元々いたメンバーが1人脱退した後、新メンバーとして加入したんです。
加入当時を私は知らないけれど、新メンバーというだけでアンチがいたり、サイン会では「あなたのは要らない」と言われたり、トイレで1人で泣いたこともあったと聞いています。
そして加入から10年を迎える彼にとって節目の年に、メインギターに代わりたった3週間で沢山のことをカバーしてステージに立った。
2013年の夏コンで、スンヒョンがこんなことを言っていました。
元々のこの席は実はウォンビン兄さん(元メンバー)の席だったんです。(加入から)2年ぐらいまではウォンビン兄さんの席だから俺が代わりに頑張らなきゃいけないと思ってたんですけど、今ちょっと考えが変わりました。今は「この席は元々俺の席」だと思いました。
一生懸命頑張ったからこそ、この言葉を言えたんだと思う。でも、最後も "誰かの代わり" を背負っていた。最初も最後も本当に理不尽な席だと思った。
だから脱退は辛いし寂しいけど、10年間最初から最後まで誰よりも頑張ってくれたと思うとFTISLANDを辞めるというスンヒョンを責められなくて、違う事務所でスンヒョンのやりたい仕事をやりたいように出来たらいいなって思うことしか出来ないです。
それにベースのジェジンがこんな事を言ったんです。
俺たちがFTISLANDを続けていれば、スンヒョンが「兄さん、僕またやりたい」って言うかもしれない。
これを聞いた時、残った3人は何が何でもFTISLANDを守ってくれる。絶対に信じよう!って思って。
そしたらなんだか急に辛さなんてどっか行った(笑)
FTISLANDに残ったメンバー3人とも現在は軍服務中。そして本日5/19はFTISLANDの日本メジャーデビュー10周年当日。
明日は10周年アルバムの発売日なので、毎度恒例のフラゲで今日アルバムが届きました💿
入隊前に用意してくれた新曲は「良い作曲家さんが作ってくれた」と聞いていましたが、"良い作曲家さん"とはジョンフンとの噂。ジョンフンが作ったのは「誤報」と言われてはいるけど、私はジョンフンが書いたと信じたいです。
ジョンフンが書いた曲も、スンヒョンが書いた曲も、そうではない曲も、FTISLANDの曲は全て私の宝物。
罪を犯してしまったジョンフンはしっかり償ってほしい。もう2度と会えないかもしれない。
でも貴方がくれた音楽は本物だから、いつまでも大好きだよ。
FTISLANDがあれば私はいつだってファンでいらるし、 FTISLANDがあればいつだって5人を想える。
10年間ずっとずっと大好きなFTISLAND。
FTISLANDは私の青春そのもので永遠に私の光。
日本メジャーデビュー10周年、本当におめでとう。
そしてひとまず!10年間ありがとう。
ずっと友達でいよう🤞
永遠に大好きです。
Kぽオタがジャニオタに
初めまして。
新型コロナウイルスの影響でめっきり仕事が減り暇になったことをきっかけにブログを始めてみました。
初投稿のお題は
「Kぽオタがジャニオタに」
ジャニーズとは無縁だったKぽオタが、突然ジャニオタへの道を歩み始めたという何とも私事のストーリーをつらつら垂れ流していくので暇潰しにでも頂けたら幸いです🙇♀️
※私事すぎて内容薄いのでご注意を
- Kぽオタの私
まず初めに「Kぽオタが・・・」と記載したけど、厳密に言うと今でも現役のKぽオタ。2010年夏頃から大好きな韓国のバンドがいるんです。(ちなみに彼等は現在軍服務中)
当時まだランドセルが似合う小学生(10歳)だった私ですが、 韓流ドラマをきっかけにKぽオタの扉をノックしたのです。
そんな私は
10歳・・・好きになったきっかけのドラマをエンリピ
12歳・・・ライブ初参戦!人生初のライブでもあった
13歳・・・東京でのイベントの為に母と1泊2日の初遠征
14歳・・・収集癖が発覚!コンプリートが生き甲斐
15歳・・・ハイタッチ会に参加すべくオタ友と神戸へ遠征
17歳の夏・・・バイトで稼いだお金で初の全ステへ挑戦
かなりざっとしていますが、こんな感じで見事に親の脛を齧りまくりながら着々とオタク心を培っていきました。
ただ初の全ステをした時点(2017年)で既に7年経っているので当然の如く当初からはバンドスタイルも変わっていまして、正直その変化に着いていけてない自分がいて無性にモヤモヤしていました。
「アイドルバンドデビュー」のイメージがあった彼等が、気付いた頃には立派な「バンドマン」になっていたんです。
- 突然のジャニーズ
そして全ステ直後、17歳の秋。
YouTubeでオススメに「Sexy Zoneおもしろシーン集」みたいな動画が突然現れたんです。(何故現れたか本当に謎)
当時ジャニーズにこれっぽっちも興味なかったけど風磨担の幼馴染がいたのもあって試しに動画をポチっと。
動画を見たのが正解なのか、不正解なのか、ゲラゲラ笑い転げてどハマりもいいとこ。セクゾの動画を見漁って見漁ってバッグいる1人が気になりつつ最初はセクゾを見ていました。
でも気になるバッグの子ってのも数日、いや数時間かも…。割と直近の映像(確か2016)を見てビビビッと来ちゃった。
超絶美男子なんだもん(笑)
誰だよこの美男子、、って恥ずかしながら恋した気分(笑)10歳の頃の気持ちがフラッシュバックしまくり。
その美男子こそが
「神宮寺勇太」
既にPrinceとして活動していた神宮寺勇太をもっと知りたいとジャニオタの道を歩む準備運動を始めてたと思うこの頃、タイミングが良いのか悪いのかバンドの推しの熱愛が発覚。そして2018年、年明けすぐにファンには大事件の結婚発表。正直結婚は堪えた(笑)でもそれと同時に自分の中で何かが変わりモヤモヤした気持ちから一気に解き放された感じがしたし、神宮寺勇太をちゃんと応援したいとも思い始めた。
でも今までジャニーズに無頓着だったし、この時もう私17歳だったし、友達にも「今更ジャニーズ?」って言われて。応援したいのに素直に応援が出来なくてこの頃は無性に悲しかった。何かきっかけがあればなーって思っていました。
- ジャニオタへの第1歩
そして結婚発表から約2週間後の2018年1月17日。
「King & Prince CDデビュー」
おいおい嘘だろって思いましたよ。
タイミングが良すぎかよ、、って(笑)
デビューって新たなスタートって意味だよね。
まるで「一緒にスタートしよう」って言われてるかのように神宮寺勇太がKing & Princeとしてデビューすることが決まり、これぞまさに私にとっての"きっかけ"になったんです。
"小学生の頃から好きなバンドの推しが結婚"
"最近気になりだしたアイドルがデビュー"
この2つの発表が自分にとっての何かの節目にもなりまして「神宮寺勇太を応援したい」って心の底から思いジャニオタへの道に足を1歩踏み入れることができました。
ちなみに初めにも書きましたが韓国のバンドは今も大好き。バンドもKing & Princeも同じくらい大好き。
好きなグループが2つ、いや何個あってもいいよね…?
中々チケットが当たらなくて辛かったりするし、CDリリースやツアーするたびに写真が発売されるジャニーズ。
感情もグッズも豊富でKぽオタで培ったオタク心は見事に倍(笑)偶然やタイミングが重なっただけかもしれないけど、応援したいと思える人が増えて凄く幸せだし楽しいです。
これからも楽しみながら神宮寺勇太、そしてKing & Prince、もちろんバンドも応援していこうと思います♡♡
最初は絶対文章書けんって嘆いてたけど、文章力が無さすぎて思ったより長くなったのでかなり割愛しました(笑)
最後まで読んでくれた方、こんなどうでもいい私事のお話を読んでいただき本当にありがとうございます🙇♀️
また気が向いたらブログ書こっと!
おわりー!